みなさんの英語の勉強のモチベーションは何ですか?
仕事で英語が必要になった、とか、海外旅行を楽しみたい、とか、いろいろあるとは思います。
私も、パッケージではない海外旅行を自分で計画して楽しみたいという目的や、仕事で英語を必要とすることがあった、などなどいくつか理由はありましたが、実は一番大きな原動力は別のところにありました。
もくじ
一番大きなモチベーションは「怒り」
実は、私の英語の勉強が細く長く続いている一番大きな理由が「怒り」なのです。
簡単に言うと、他人から自分の英語力を卑下されたこと、それが一番大きなモチベーションとなっているのです。
まったく英語が喋れない同僚の冷やかし
一つ目が、「まったく英語が喋れない同僚」からの冷やかしです。
まだ私が、「若手社員」だった頃の話です。
外国人社員も多く集まる仕事関係の立食パーティの席で、つたないながらも英語で話していいました。
その私のそばに、ある日本人の同僚が、いつのまにかスッと立っていました。
彼は、薄い微笑みを浮かべながら、片方の手を自分の耳のそばに置いて、私がしゃべっているのを聞くジェスチャーをしていました。
いぶかしく思った私が、「なにしているの?」と彼に尋ねると、「しゃべって、しゃべって!あなたが英語をしゃべっているのを聞きたい。」と彼は言います。
その時は、なんだろう、といぶかしく思うものの、そのままスルーし、目の前にいる外国人社員と話を続けていました。
しかし数分後、外国人社員との会話を切り上げて、一人になった瞬間に、さっきの日本人同僚男性は背後から私に声をかけてきました。
そしてその同僚から衝撃の言葉を聞くことになるのです。
それは・・・
「ボクも英語しゃべれないんですよ~」
という言葉でした。
え?!「ボクも」ってどういうこと?と思うと同時に、怒りが湧いてきました。
確かに私の英語は上手ではなかったかもしれません、でも、それは私が帰国子女でもないし留学経験者でもないからです。
そのことは、生まれ育った環境によることなのでしかたありませんし、私の責任ではありません。
一方で、仕事で必要な英語力については最大限努力していましたし、外国人との会話も一応は成立していたはずです。
それなのに、その同僚に「しゃべれない」とジャッジされた、ということが本当に腹立たしく感じられました。
しかも彼は、「ボクは純ジャパ(生粋の日本人)だから、英語は話さない」と一切人前で英語を話さない人でした。
仕事で必要な時も、すべてE-mailでやり取りをしているという人でした。
下手な英語がばれるのが嫌だからなのか人前で一切英語を話さないような人に、「あなたとボクは英語がしゃべれない同類」と決めつけられたのですから、悔しくて仕方がありません。
なぜ私を自分の位置まで引きずり下ろすのか?!
今思い出しても怒りがこみ上げてきます。
また、その同僚とは別の人ですが、たまたま私が外国人と英語で話していて言葉に詰まり、言い換えに苦戦しているところに通りすがった同僚がいました。
彼は、笑いながら私に「大変だねー!」とヒトコト言い放って去っていきました。
その彼も、まったく英語を話さない人でした。
どちらの同僚も、ほぼ英語を話さない同僚でした。
どちらの同僚にも、「あ、彼女の英語力もこの程度か、ボクと同じだな」と安堵した様子が見て取れたのです。
悔しい!!!
下手は下手なりに一応は英語での会話を成立させることのできる私と、まったく英語をしゃべろうとしない彼らとでは、相応の差はあるはずなのに、彼らから見たら私は「自分と同じ低いレベルの人」に見えている、という悔しさ。
絶対追いつけないところまで逃げ切らないと、煮えくり返ったはらわたがおさまらない、
私はそう思いました。
モラハラ上司
かつて上司だった日本人男性からも「え?」と思うような理不尽なことを何度も言われました。
当時、彼の配下にはたまたま帰国子女や外国人社員が集まってしまい、生まれも育ちも日本という属性を持った部下は「私」だけでした。
今思うと、外国人部下相手になかなか意思が通じないとか、帰国子女の部下はカルチャーが異なりすぎていて意思疎通が難しい、など、上司は上司なりに悩みやコンプレックスがあったのかもしれません。
しかし、だからといって、純日本人である部下の私にやつあたりのように暴言を吐いていいということにはなりません。
あるとき、その上司の機嫌がとても悪い日がありました。
たまたま、海外支店からレポートが上がってきていたので、それについて話していたところ、その上司はつぶやくように小声でこう言ったのです。
「その件には関わらなくていいよ、あなたはどうせ英語ができないんだから」

その日は上司が苛立っていることはわかりましたが、それって八つ当たりの暴言では?ととっさに思いました。
メモ
映画「マダム・イン・ニューヨーク」では、ヒロイン・シャシの夫は妻が英語をひそかに勉強していることを知らずに「私の妻は英語ができないんでね」と言い放ちました。そういう上から目線、ほのかに腹立ちますね。
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ちなみに、「あなたは英語ができない」と言われたのですが、この上司だって英語がとびきり上手であるというわけではなかったのです。
彼の当時の英語力が具体的にどれぐらいだったかというと、こんな感じでした。
彼は英語での会議の場になると自分から発言はしませんでしたし、意見を求められたときには何回も質問の内容を聞き返して、ようやく短いフレーズで自分の意見を言う、というレベルでした。
要するに、私とそれほど英語力に差はなかったのです。
また、彼の英語はすごい訛りのあるジャパニッシュでした。
“where”は「ほぇあぁ」と発音するぐらい訛りがありました。
そんな人に「あなたは英語ができない」と言われるのですから、本当に腹が立ったのです。
そしてまたしても思ったわけです。
ハッキリとわかるぐらい差をつけてやろうじゃないの!、と。
帰国子女や英語上級者は英語が下手な人を馬鹿にしない
こうした「英語がほとんどできない人」や「英語がそれほど上手じゃない人」から、自分の英語力について馬鹿にするような言動をとられたことはありますが、その逆はありません。
つまり、帰国子女や英語がすごく達者な日本人は、絶対に私の英語力を馬鹿にしないのです。
さりげなく間違いを正してくれたり、「こういう言い回しのほうが伝わるかもよ」と教えてくれることはあっても、「あなたは英語ができない」なんて上から目線での発言は絶対にしません。
当然下手な私の英語を傍で聞いて、ニヤニヤして馬鹿にする、というようなこともしません。
ちなみに、ここ数年で、海外の大企業では「ダイバーシティ&インクルージョン」の一環として、「英語力不足の人を差別してはいけない」ということも言われるようになってきているのだそうです。
例えば、私の勤める会社では「英語がヘタな人に対して差別心を持ち、話を聞かないような人は評価が下がる」システムになっています。英語ができない人が世界にはたくさんいることを理解し、非ネイティブを差別せず尊重する姿勢が求められているのです。
グローバルスタンダードは、こうしたマインド、メンタリティにまで及ぶのですね。
「怒り」自体はけっして悪ではなく「モチベーション」になりうる
以前、私は「怒る」ということは、悪いことだと思っていたのですが、実はそれは誤りであるようです。
怒りの感情はだれでも持っているものなので、怒りそのものが「悪」ということではないそうです。
私は、友人たちから「沸点低すぎ」と言われるぐらい怒りやすい人間ですが、自分を苦しめたり、他人との関係性を乱さない限りは、「怒り」を持つこと自体は問題ないと考えるようになりました。
むしろ、自分を向上させるための勉強のモチベーションとして使う、というのは、この上なく生産性の高い「怒り」の利用方法だとわかりました。
ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんの有名な発言、「怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」というのがあるぐらいですからね。
アンガーマネジメントにおいても、「怒り」はモチベーションにつながる「メリット」がある、と言われています。
怒りはメリットも生むのですね。
いえ、怒りという非常に強いエネルギーだからこそ、長きにわたりモチベーション維持に役立っているといえるのかもしれません。
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Last Updated on 2023-06-07 by Tomoko