日本語教員試験「応用試験 読解」解ける500問のPart1の学習内容をまとめます。
Part1は、キーワード確認チェック問題になっており、要するに日本語教員に必要な用語をきちんと理解できているかを図るものになっています。
Part1は全部で10セットに分かれています。
このページでは「セット1」に登場してきた用語や概念を、自分の言葉でまとめなおしています。
もくじ
1.第二言語習得(SLAーSecond Language Acquisition)の主要理論と仮説
言語がどのように学ばれるか、そのメカニズムに関する理論群です。
クラッシェンのモニター・モデル
スティーブン・クラッシェンが提唱した5つの仮説を中心とした理論です。
クラッシェンのモニター・モデル
・習得・学習仮説:無意識の「習得」と意識的な「学習」を区別する。
・モニター仮説:学習した知識は、発話の誤りを修正する「モニター」としてのみ機能する。
・インプット仮説:現在の能力より少し高い水準(i+1)の理解可能な入力が習得を促す。
・情意フィルター仮説:不安や自信のなさが、言語入力の吸収を妨げる。
・自然習得順序仮説:言語形式は一定の順序で習得される。
スティーブン・クラッシェンは、現代の言語教育に最も大きな影響を与えた人物の一人で、アメリカの言語学者です。彼は「言葉は勉強して覚えるもの」というそれまでの常識に対し、「言葉は自然に身につくものだ」という考え方を提唱し、第二言語習得理論の歴史を大きく塗り替えました。彼の理論は、私たちが子供の頃に母国語を覚えたプロセスを、大人の外国語学習にも応用しようとする情熱に基づいています。
クラッシェンが提唱した「モニター・モデル」の根幹にあるのは、言葉を「習得」することと「学習」することは全くの別物であるという「習得・学習仮説」です。
ここで言う「習得」とは、赤ちゃんがいつの間にか言葉を話せるようになるような無意識のプロセスを指し、反対に「学習」とは、学校で文法規則を暗記するような意識的な作業を指します。
クラッシェンは、実際に私たちが流暢にコミュニケーションを取るために役立つのは「習得」された知識だけであり、机の上で「学習」した知識は、自分が話したり書いたりした内容が正しいかどうかを後からチェックする監視役としてしか機能しないと主張しました。これが「モニター仮説」です。
では、どうすればその「習得」が起きるのかを説明したのが、最も有名な「インプット仮説」です。彼は、自分の今のレベルを i としたとき、それよりもほんの少しだけ上のレベルである i+1の情報を、内容を理解しながら大量に浴びることこそが、言語習得の唯一の方法であると説きました。文法を完璧に理解しようとする必要はなく、「何と言っているのか」というメッセージそのものを理解しようとすることが重要なのです。
また、どんなに素晴らしい教材(インプット)があっても、学習者の心が閉ざされていては効果がありません。これを説明したのが「情意フィルター仮説」です。不安、緊張、自信のなさといったネガティブな感情は、脳の中に目に見えない「フィルター」を作り出し、せっかくのインプットが脳の言語習得を司る部分に届くのをブロックしてしまいます。リラックスして、「間違えても大丈夫」と思える環境こそが、言語習得の近道であると考えたのです。
最後に、言葉が身につく順番についても、彼は「自然習得順序仮説」としてまとめました。これは、文法を教える順番に関わらず、人間には言語のルールを身につけていく決まったスケジュールが備わっているという考え方です。例えば、三単現の s はルールとしては簡単ですが、自然に口から出るようになるのはかなり後の方になるなど、習得には逆らえない自然な流れがあることを示唆しています。これらの仮説は、現在の日本語教育においても「文法をガチガチに教えるよりも、まずは理解できる楽しい会話をたくさん聞かせよう」というナチュラル・アプローチなどの指導法の土台となっています。
以上のことをもっと身近な例にたとえてみました。
例えば、「テニス」を習い始めたと想像してみました。クラッシェンが言いたいのは、「教科書でフォームの角度を勉強するよりも、とにかくコートに出てボールを打ち合い、楽しむことが上達のすべてだ!」ということです。
まず、「習得・学習仮説」をテニスに例えると、ラケットを振っているうちに体が勝手に動きを覚えるのが「習得」で、本を読んで「肘の角度は45度」と暗記するのが「学習」です。試合中に「えーっと、角度は45度だから……」なんて考えていたら、ボールは打ち返せませんよね。つまり、本当に役に立つのは「体が覚えた感覚(習得)」だけだというわけです。
次に「モニター仮説」。これは、頭で覚えた「45度」という知識は、自分が打った後に「あ、今のフォームちょっとズレたな」と反省する時にしか使えない、という話です。知識はあくまで「添削担当」であって、「プレーヤー」そのものにはなれないんです。
一番大事な「インプット仮説」は、練習のレベル感のことです。初心者がいきなりプロの時速200キロのサーブを受けても、速すぎて何が起きたか分からず、上達もしません。逆に、止まっているボールを打つだけでは練習になりません。「自分がなんとか打ち返せる、少しだけ速いボール(i+1)」をたくさん受けることで、体は自然にテニスに慣れていくんです。語学も同じで、「あ、今こういう意味のことを言ったな」とギリギリ理解できる話をたくさん聞くことが、上達の唯一のルートだと言っています。
でも、練習中に後ろから怖いコーチに「なんで今の打てないんだ!」と怒鳴られていたらどうでしょう?体がガチガチに緊張して、練習どころではなくなりますよね。これが「情意フィルター仮説」です。リラックスして「テニス楽しい!」と思っているときの方が、体はどんどん動きを吸収します。しかしその逆だと、心の壁(フィルター)が、上達の邪魔をしてしまうんです。
最後に「自然習得順序仮説」。テニスでも、まずは「当てること」から始まり、次に「遠くに飛ばすこと」、そのずっと後に「スピンをかけること」……というように、人間が覚えやすい順番は決まっています。どれだけ先に「スピン」のやり方を教え込まれても、基礎ができていない時期には絶対に身につきません。語学も、教える順番ではなく「身につく順番」が脳の中に最初からプログラムされている、という考え方です。
要するにクラッシェンは、「理屈でガチガチに固めるより、リラックスして、自分のレベルに合ったワクワクする内容にたくさん触れよう!」という、とてもポジティブなメッセージを伝えています。
インターフェース論争
「学習」した知識が「習得」した知識に変わるかどうかの議論です。
ちなみに、先に出てきたクラッシェンは「ノン・インターフェース派」です。
・インターフェースの立場:学習した知識は練習によって習得に変わる。
・ノン・インターフェースの立場:学習と習得は完全に別物であり、変換されない。知識と技術の間には絶対に越えられない壁があるという立場。
インターフェースの立場の考え方
練習すれば、知識は必ず技術に変わる!」という立場です。
考え方: 最初は「えーっと、肘を45度にして……」と頭で考えながら(知識を使って)振っていても、何百回、何千回と練習すれば、いちいち考えなくても振れるようになりますよね!
結論: 最初は知識として「意識的に」覚えることが大事。それが練習によって「自動化」されれば、最終的には「無意識の技術(習得)」に変わるんだから、文法のお勉強もめちゃくちゃ大事だ!というスタイルです。
ノン・インターフェースの立場の考え方
これは「知識と技術の間には、絶対に越えられない壁がある」という立場です。
考え方: 教科書を読んで「肘を45度に」と覚えること(学習)と、実際に体が動くこと(習得)は、脳の中の全く別の部屋に保管されていると考えます。
結論: どんなに教科書を丸暗記しても、その知識が「勝手に体が動く技術」に化けることはありません。だから、文法の勉強なんてほどほどにして、たくさんボールを打つ(インプットを浴びる)べきだ!と言い切るスタイルです。
ウィーク・インターフェースの立場(いいとこ取り)
「両方の言い分もわかるけど、現実はその中間くらいじゃない?」という立場です。
考え方: 知識がそのまま技術に化けるわけじゃないけれど、知識があることで「あ、今自分のフォームが崩れた!」と気づきやすくなりますよね。その「気づき」が、上達をグンと早めてくれるという考え方です。
結論: お勉強(知識)は、直接のパワーにはならないかもしれないけれど、上達をサポートする「補助輪」や「ブースター」のような役割を果たすから、やっぱり必要だよね、というスタイルです。
それで・・・・?どれが正しいの?
クラッシェン(ノン・インターフェース派)が登場した当初は、その斬新な考えが支持されましたが、今の日本語教育の世界では「ウィーク・インターフェース(中間の立場)」を支持する人が多いです。
つまり、「ただ聞いているだけ(インプットだけ)よりも、ルールを知った上で意識して練習したほうが、大人になってからの語学は効率がいいよね!」というのが、今の一般的な結論になっています。
その他の習得仮説・モデル
・言語獲得装置(LAD):人間に備わっている言語習得の生得的メカニズム。
・臨界期仮説:言語習得には適切な時期があり、それを過ぎると困難になるという説。
・教授可能性仮説:発達段階に合ったものしか教えることはできないとする説。
・アウトプット仮説:理解可能な入力だけでなく、話す・書くといった出力も習得には必要。
・用法基盤モデル:具体的な言語使用の蓄積から言語体系が構築されるとする考え。
人間が言葉を身につける仕組みについては、長い歴史の中で「生まれつきの能力なのか、それとも後天的なトレーニングの結果なのか」という熱い議論が交わされてきました。
まず、20世紀の言語学に革命を起こしたノーム・チョムスキーが提唱したのが「言語獲得装置(LADーLanguage Acquisition Device)」です。彼は、人間がわずか数年で複雑な母国語をマスターできるのは、脳の中に「言語を理解するための専用の設計図」が生まれつき組み込まれているからだと考えました。この背景には、当時の「言葉は周りの真似をして褒められることで覚える(習慣形成)」という考え方では、子供が一度も聞いたことがない文章を自由に作り出せる理由を説明できない、という批判がありました。このLADという「魔法の箱」があるからこそ、人間は不完全な言葉の環境からでも完璧な文法を導き出せるとしたのです。
しかし、その「魔法の箱」が一生完璧に作動するわけではない、と指摘したのがレネバーグらによる「臨界期仮説」です。もともとは脳科学や生物学の視点から出てきた説で、脳の柔軟性が失われる思春期(12歳前後)を過ぎると、LADのような生得的なメカニズムが働きにくくなり、母国語と同じレベルで言語を習得することが難しくなるという考え方です。皆さんも「大人になってからの外国語は耳が慣れにくい」と感じることがあるかもしれませんが、それはこの「学びのゴールデンタイム」を過ぎてしまったからだ、という切ない背景を持つ理論です。
一方で、実際に教室で教える立場の視点から生まれたのが、マンフレッド・ピネマンの「教授可能性仮説」です。彼は、言語の習得には脳内の処理能力に基づいた「決まった階段(発達段階)」があることを発見しました。この説の面白いところは、「今の学習者がステップ2にいるなら、ステップ4の難しい文法をどれだけ熱心に教えても無駄である」と断言した点です。つまり、教える側が教えたい順序ではなく、学習者の脳が受け入れられる準備ができているものしか身につかないという、教育現場への強い警鐘として生まれました。
また、前回お話ししたクラッシェンの「インプットだけで十分」という考え方に真っ向から異を唱えたのが、メリル・スウェインの「アウトプット仮説」です。彼女は、カナダで行われた「ひたすらターゲット言語を聞かせる教育」を受けた子供たちが、理解は完璧なのに話すとおかしな間違いを連発することに気づきました。そこから、「自分の考えを言葉にしようとして(アウトプット)、初めて自分の知識の穴に気づき、より正確な文法へと意識が向くのだ」という結論を導き出しました。つまり、言葉は「出す」ことで磨かれるというわけです。
最後に、最近の主流となっているのが、マイケル・トマセロらが支持する「用法基盤モデル」です。これはチョムスキーの「生まれつきの設計図(LAD)」を否定するところから始まっています。人間には言語専用の装置があるのではなく、他人の意図を読み取ったり、パターンを見つけ出したりする「一般的な認知能力」があるだけだと考えます。スポーツやダンスと同じで、実際のやり取りの中で「この場面ではこう言うんだな」という具体的な経験を何千回、何万回と積み重ねることで、後付けでルールが形作られていくという考え方です。
こうして見ると、言葉の習得は「才能(LAD)」と「時期(臨界期)」、そして「適切なステップ(教授可能性)」と「実践(アウトプット)」、さらに「日々の積み重ね(用法基盤)」という、多層的なパズルで成り立っていることがわかりますね。
2.教授法と指導アプローチ
実際の教室内でどのように教えるか、または指導の焦点をどこに置くかの分類です。
伝統的・心理学的手法
・グアン・メソッド:動作と結びつけて教える一連のシリーズ法。
・サイレント・ウェイ:教師は沈黙し、学習者の自律性を促す。
・サジェストペディア:クラシック音楽やリラックスした環境で潜在能力を引き出す。
・ナチュラル・アプローチ:クラッシェンの理論を応用し、初期段階では発話を強制しない。
言語教育の歴史を振り返ると、その時代の哲学や心理学のトレンドを反映したユニークな教授法がいくつも誕生してきました。
19世紀後半、それまでの主流だった「読み書き中心」の文法訳読法に疑問を呈したフランス人のフランソワ・グアンが考案したのが、グアン・メソッドです。彼は自分の子供が「ドアを開ける、ドアに近づく、ドアのノブを回す……」と自分の動作を言葉にしながら母語を覚える様子を観察し、言葉と動作を連動させる「シリーズ法」を編み出しました。これは、単なる暗記ではなく、一連の生活動作をストーリーのように繋げて教える手法で、のちの日本語教育の父・長沼直樹らによって、日本の初期の日本語教育にも多大な影響を与えました。
時代が進み、20世紀後半の1960年代から70年代にかけては、心理学の知見を取り入れた「人間性心理学的アプローチ」が花開きます。その代表格が、数学者ガッテーニョが提唱したサイレント・ウェイです。当時は「教師が主役で、生徒は受け身」という教育への反発があり、この手法では教師はほとんど話さず、色とりどりの木の棒(サウンド・カラー・チャートやロッド)を使ってヒントを出すことに徹します。学習者が自分の力でルールを発見し、自律的に学ぶことを促すこのスタイルは、まさに「教えないことで教える」という挑戦的なニーズから生まれました。
ほぼ同時期、ブルガリアの精神科医ロザノフは、学習者のストレスが学びを妨げていると考え、サジェストペディアを提唱しました。冷戦下の厳しい時代背景の中で、人間の潜在能力をいかに解放するかが注目されており、この手法では教室にリクライニングチェアを置き、クラシック音楽(バロック音楽など)を流しながら、リラックスした状態で教師がリズミカルに言葉を読み上げます。「暗示(サジェスチョン)」の力を使い、潜在意識に直接働きかけることで、通常の数倍のスピードで語彙を習得することを目指した、非常に癒やしに近いアプローチです。
そして、1970年代末から80年代にかけて、より「自然で実践的なコミュニケーション」を求める声が高まる中で登場したのが、テレルとクラッシェンによるナチュラル・アプローチです。これは、先ほどもお話しした「言葉は勉強するものではなく、自然に吸い込む(習得する)ものだ」という信念に基づいています。それまでの「初日から無理やり喋らせる」スパルタな手法に対し、まずは赤ちゃんが言葉を話し出すまでの「沈黙の期間(サイレント・ピリオド)」を尊重し、理解可能なインプットをたっぷりと与えることに重点を置きました。
これらの手法は、単に「効率よく教える」というだけでなく、学習者の心や体のメカニズムをどう活用するかという、当時の教育界の切実なニーズや探究心から生まれてきたものなのです。
指導の焦点(Focus on...)
・フォーカス・オン・フォームズ:文法形式を一つずつ順番に教える(伝統的)。
・フォーカス・オン・ミーニング:意味の伝達のみを重視し、形式にはこだわらない。
・フォーカス・オン・フォーム(FonF):意味のあるコミュニケーションの中で、必要に応じて形式に注目させる(※リストの文脈から補足)。
学習観の変遷
・行動主義:刺激と反応による習慣形成(オーディオ・リンガル法など)。
・認知主義:学習者の内的プロセスや規則の理解を重視する。
・状況的学習論:学習を特定の文脈や共同体への参加として捉える。
・アクティブラーニング:学習者の能動的な参加を促す学習形態。
・行動中心アプローチ:課題遂行(タスク)を重視する。
3. 学習者の心理と動機付け
学習を継続させる要因や、対人心理に関する用語です。
動機付け(モチベーション)
・自己決定理論:外発的動機付けから内発的動機付けへの移行を重視する。
・ARCSモデル:ケラーが提唱。注意(Attention)、関連性(Relevance)、自信(Confidence)、満足感(Satisfaction)の4要素。
・第二言語動機付け自己システム:理想の自己像などが学習意欲に影響する。
コミュニケーションと関係性
・アコモデーション理論:相手に合わせて話し方を調整する(収束/分岐・ダイバージェンス)。
・パターナリズム:強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のために干渉すること。
・最近接発達領域(ZPD):一人ではできないが、他者の支援があれば達成可能な領域。
4. 言語能力と読解プロセス
バイリンガリズムや、文章を理解する仕組みに関する理論です。
バイリンガル能力モデル
・共有基底言語能力モデル:複数の言語が根底でつながっているとする考え。
・発達相互依存仮説:第一言語の発達が第二言語の発達に影響する。
・敷居仮説:認知的な恩恵を受けるには、両言語が一定のレベルに達する必要がある。
読解・情報処理
・トップダウン・モデル:背景知識から内容を予測しつつ理解する。
・相互交流モデル:ボトムアップ(文字情報)とトップダウンの両方を統合して理解する。
・橋渡し推論:文と文のつながりを補完する推論。
・精緻化推論:行間を読み、知識を使って内容を膨らませる推論。
5. 評価と測定理論
せっかく学習した成果も、正しく測れなければ意味がありません。テストを「ただの点数出し」に終わらせず、科学的に分析するための理論です。
古典的テスト理論
古くから使われている、最もスタンダードな採点方法の考え方です。
考え方: 「テストの合計点(素点)」をそのままその人の実力と見なすシンプルな理論です。
特徴: テスト全体の「信頼性(毎回同じ結果が出るか)」や「妥当性(測りたい能力をちゃんと測れているか)」を重視します。
弱点: テストが簡単ならみんな高得点になり、難しいと低得点になります。つまり、結果が「テストの難易度」に大きく左右されてしまい、異なるテストを受けた人同士を平等に比べるのが難しいという面があります。
項目応答理論(IRT:Item Response Theory)
現在のJLPT(日本語能力試験)やTOEFLなどで採用されている、非常にハイテクな統計理論です。
考え方: テスト全体の点数ではなく、「どの問題に正解したか」というパターンから、受験者の「真の実力」を統計的に算出します。
特徴:難易度の調整: 難しい問題に正解したか、簡単な問題を落としたかをAIのような統計モデルで分析します。
識別力: その問題が「実力がある人とない人を、正しく見分けられているか(識別力)」を数値化します。
不変性: 違う回のテストを受けても、同じ実力の人は同じスコアになるように調整されます。
分かりやすく例えると……?
これを「健康診断の視力検査」に例えてみましょう。
「古典的テスト理論」は、昔ながらの「C」の形(ランドルト環)を数える方式です。
「20問中15問見えたから、あなたは1.5ですね」という評価です。もし、たまたまその日のパネルの印刷が薄かったり(難しいテスト)、逆にすごく見やすい色だったり(簡単なテスト)すると、同じ人でも結果が変わってしまいます。
「項目応答理論(IRT)」は、最新のデジタル視力測定器のようなものです。
あなたが「どのサイズのマークを、どれぐらいの確信を持って答えたか」という反応のパターンを分析します。「このレベルが答えられるなら、この人の真の視力はこの数値のはずだ」と、統計的な「物差し」を当てて算出します。これにより、検査器具が多少違っても、あなたの「真の視力」をいつでも正確に導き出すことができるのです。
Last Updated on 2026-02-26 by Tomoko