日々つれづれ

【日々つれづれ】ラクに生きるのと怠けるのは違う

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最近、ずっとモヤモヤすることがあったんですよね。

それは、「無理をしないでラクに生きよう!」という言葉の解釈。

最初に言うと、私は、この意見に賛成です。

ラクに軽やかに生きるのは、とても理想的な生き方だからです。

ラクなのは「才能」があることや「好き」なことをやっているから

しかし、この「無理をしないでラクに生きよう!」という言葉の解釈をめぐっては、特に職場でモヤモヤさせられることが多くありました。

この言葉に対しての私の解釈ですが・・・

才能がなかったり、好きだと思えないことを、歯を食いしばって頑張ってやるんじゃなくて、得意なことや好きなこと(続けていても苦にならないようなこと)をやっていれば、本人もラクだし、成果にもつながりやすい、ということです。

ですから、職場においては、得意なことや好きなことに取り組むことで、「ラクに貢献しましょう」ってことだと思うんですよ。

もう、これからの時代、不得意なことや好きでもないことに取り組む暇はないと思うし、ふふーん♪と楽しそうにご機嫌でいる人が周りにいたほうがいいに決まっているじゃないですか。

しかし、私がモヤモヤしたのは、この言葉を「面倒くさいことは全部放り出して、ラクしようぜ!」というトーンで話す人が職場に何人かいたことでした。

「いやいや、ちょっと待てよ、職場は何の貢献もしない人にお手当てをあげる福利厚生施設じゃないんですってば!」と言いたくなったわけです。

例えば、面倒なことはRPA化!とは良く聞くことですが、「複雑で冗長なプロセス」を見直しもしないで、今ある手順をそっくりそのままRPA化して効率化したつもりになっている人、ChatGPTやCopilotのような対話型AIは時々間違ったことも言うのに、それらを思考停止で使って仕事できる気になっている人、そういう人たちを見ても、モヤモヤしていました。

業務プロセスを見直しもせずにRPA化したり、思考停止で対話型AIを使うのは、もはや仕事じゃないですし、人間としての価値を自ら放棄する行為・・・とまで言うと言い過ぎなのでしょうか?

特に、RPAを適切に管理せずにブラックボックス化させてしまったら、後でトラブルを招きかねない、というのはちょっと考えればわかりそうなのに、それを指摘しても「キョトン」としている人が、数名でも存在していることに危機感を感じずにはいられません。

「ゆるっと軽やかに」というフレーズが重く聞こえるとき

冒頭にも書いた通り、ラクに軽やかに生きるのは、とても理想的な生き方だと思います。

ところが、「ラクに生きる」とか「ゆるっと軽やかに」というフレーズを聞いたときに、ズシーン!と重く聞こえることがあるのです。

なんでかな?と考えました。

それは、そのフレーズを発信している人に、「自分がラクするために、他人に依存しよう」という意思がみえるときに、ズシーン!と重く感じることがわかりました。

私は、自分の直感を信じます。

「ラクに生きる」とか「ゆるっと軽やかに」というフレーズを口にしている人でも、なんか重いなぁ、と直感した人からはちょっと距離を置いたほうが良さそうです。

エナジー・ヴァンパイアかもしれませんからね。

語学学習に王道なし

最後に、語学学習の話になりますが、世の中には、いかにラクして簡単に外国語を習得するか、という情報も未だあるといえばありますよね。さすがに聞き流すだけでペラペラ!みたいなものはないかもしれませんが。。。

一般的に言われているのは、例えば、英語なら話せるようになるには3,000時間の学習が必要、ということですよね。

私のすぐそばで、ヘラヘラしながら流ちょうな英語を操っている「非帰国子女のアノ人」だって、とてもラクそうに英語を話しているけれど、相当の時間を英語学習に割いたに違いないのです。

ただ、おそらくは、「非帰国子女のアノ人」にとって、英語の勉強を積み重ねることは苦ではなかったんだろうな、少なくとも英語の勉強が好きだったんだろうな、と想像するのです。

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なまえ:Tomoko プロフィール: 外国語には興味があるものの日本生まれの日本育ち、親も超ドメスティックという環境で育ちました。 英語はオンライン英会話をメインに勉強してきており、これまでに10社以 ...

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